広告
ブログ

故きを温めて(桶中の歴史)

生徒会誌『泰山木』は、現在も発行され続けていますが、スタートは1953(昭和28)年3月15日に生徒会文芸部の詩文集が『泰山木』として発行されてものです。

4号から生徒会誌となりました。生徒会誌とすることについて50周年記念誌には次のようにあります。

「詩文集が生まれ、その後生徒会誌が生まれたので、せっかく続いてきた詩文集の心を生かして生徒会誌に『泰山木』の名前を引き継ぐことになりました」(当時、生徒会担当で泰山木の名付け親の高橋先生の話)

 

今後、その中から詩や文章を名前を伏せて紹介していきます。まず、卒業、進路選択を目前にした3年生らしい思慮深い作品です。

 【第2号(1954.3.25発行)より】

    道  3年生女子

 私たちは歩いて来た

 広い道を手を取られながら

 目をつぶっても歩いて来られた

 しかし! 今は!

 目の前に広がる幾本もの道

 腕を組み 頭をかしげ

 自分の進む道を考えている

 努力家には 道は広く

 なまけ者には 道は狭い

 

 

0

開校年度は363人でしたが、翌昭和23年は522人と増えました。昭和37年度と昭和62年度をピークにして、生徒数は減少傾向にありますが、令和6年度は455人、今年度は468人と少し増加しました。

減少幅が大きい理由

〇昭和46年度:桶川東中開校

〇昭和50年度:桶川西中開校

〇昭和63年度以降:全国的な中学生数のピークが昭和62年度

 

0

本校は、来年(令和8年)に創立80周年を迎えます。

これを記念してホームページに新たに「故きを温めて(桶中の歴史)」のブログをつくりました。

過去の出来事や資料等を掲載していく予定ですので、お楽しみに!

 

まずは、50周年記念誌の『飛翔1996』です。

その中に、開校当時のことを書いた文章があります。

「現在の桶川中学校の場所には、おもちゃ工場がありました。乏しい町の財政の大方を費やし、学校が生まれました。将来大切な青少年の教育のために何よりも先にと、工場跡地を買い入れ、工場の真ん中に渡り廊下、その両側に教室という珍しい学校でした。それでも周囲の町村に先がけて独立した校舎を持てたことは、桶川町の喜びであり、また誇りでもありました。」

 校地の様子を調べて2年生が描いた絵がありましたので紹介します。

 校舎は、おもちゃ工場を改装した平屋の建物が1棟だけ。校庭の南側には現在も1本だけ残る銀杏が3本並んでいました。また、校舎の北側(現在のテニスコート等)は畑だったり、雑草がしげる空き地だったようです。校庭の中に神社があるのがわかります。これは後に移転して、現在もパークタウンにある若宮神社(押しボタン信号の裏手)となります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

0
広告
アクセスカウンター
165028
広告
周辺学校のようす
ポータルでもっと見る