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故きを温めて(桶中の歴史)

 「桶中の生徒集会も開始から12年目の歳月が流れ、時とともに生徒集会も移り変わってきた。」と、生徒会の感想にあるように、テーマを見ると時代を色濃く映していることがわかります。

211回 中学校生活のあり方

212回 深夜放送について

213回 生きがいについて

214回 男女交際

215回 昼休みのすごし方

216回 文化祭をもりあげるために

217回 感謝しましょう講堂

218回 講堂と体育館

219回 新人戦県大会壮行会

220回 非行について

221回 みんなと歌おうヒット'77

222回 先輩と後輩のあいさつについて

223回 家庭学習の向上(塾へ行くべきか

224回 生徒集会の歌について

225回 授業態度について

226回 言葉づかいについて

227回 1年間の反省・これからの生活

228回 明日に向かってはばたく

229回 さよなら3年生

 深夜放送、非行、歌謡曲が最盛期に向かう途中で身近でタイムリーな話題でした。深夜のラジオ放送を聞いている生徒が増えていて、翌日の学校の話題がテレビだけでなく深夜放送の話題で盛り上がることも多くありました。また、学習塾に通うことが当たり前ではなかった時代ですが、3年生になると通う生徒が増えてきた時代です。桶川市には大きな塾は2つか3つしかありませんでした。

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 昭和25年に木造校舎2棟、昭和28年に1棟が新築され、元の木造校舎の廃材を利用して、昭和28年に講堂が建てられました。

 昭和52年度、長年愛されてきた講堂を壊して体育館が建てられました。「泰山木」には、長年愛された講堂について生徒が書いている文章がいくつかあります。以下は2年生男子のものです。

 「10月10日、講堂が壊されてしまった。「あんなおんぼろの、すぐ床の抜ける講堂なんか壊しちゃえ」なんて思っていました。しかし、生徒主催の最後の行事があり、また、僕ら2Aの生徒集会も行い、いざ壊されてしまうとおんぼろでもいいから残っていてほしいと思った。雨の日の入学式、初めての生徒集会、立合演説会、山田先生が読んだ百人一首大会、フォークダンスなどなど思い出がある。なくなってしまった今、いろいろなことで困っている。例を挙げれば、男子バレー部は交通公園での練習、女子体操部は第二校舎の廊下。少し手元が狂えばガラスにぶつかってしまうかも・・・。柔道・剣道部は市の柔剣道場で、演劇部が使っていた相談室は着替えが大変な剣道部の部室になったという具合である。生徒会の立合演説会、生徒集会、朝会、討論会など変更はきりがない。作業車の騒音も授業中にうるさいこともある。雨の日の体育はどうなるのだろう。がまんして3月にできる新しい体育館に期待しよう。早く体育館ができるように作業をする人たちに願うとともに、長い間頑張ってくれた講堂の思い出を大事に持っていたいと思っている。」

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 今回は、昭和52年度のクラブ活動について書きます。この頃には、クラブ活動は必修授業として週1時間位置づけられていて、教育課程外である部活動とは完全に切り離されたものでした。1~3年生の異学年間の交流や、同好の士による趣味・関心の追求、個性の伸長を目指しました。

 この必修クラブは平成10(1998)年の学習指導要領改訂で、クラブ活動の規定が廃止されるまで続きました。(小学校では現在もクラブ活動は授業として位置づけられています)

 

 

 

 

 

 

 

52年度の本校には、以下の24クラブがありました。

 ・遊び研究 ・編物 ・囲碁 ・英語 ・華道 ・ギターフォークソング ・郷土研究 ・クラッシックギター ・剣道 ・サッカー ・手芸 ・将棋 ・ソフト ・卓球 ・男子体操 ・女子体操 ・天文 ・読書 ・バスケット ・バドミントン ・バレー ・芸術 ・野球 ・旅行プラン 

 人数も9名という少人数から50名を超えるものまでまちまち。「編物クラブ」の紹介文が面白かったので掲載します。

 「我が編物クラブは、2年生5名、3年生8名と、桶中一美人だといわれる!?泉先生の計14名で構成されています。現在、3年生がフリルいっぱいつきのドレッシーなベストに取り組んでいます。これを着てボーイフレンドとクリスマスパーティーをと思うのですが、夢に終わりそうです。編物をしながらいろいろな話をします。今朝のおかずのこと、クラスのこと、将来の結婚のことまで話題にのぼり、興奮して編み棒を落とす者も出る始末。何しろ楽しいクラブです。」

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 昭和52(1977)年の読売新聞の記事からです。

「昭和51年度埼玉県学校環境緑化コンクールがこのほど開かれ、中学校の部で桶川中学校が最優秀賞に輝き、近く開かれる52年度全国コンクールの本県代表となった。桶川中は43年に続いて2度目で学校、PTAが一体となった緑化運動が高く評価され、むせかえるような緑の中で教育効果も着々と上がっている。」

 学校をあげての緑化運動、しかも10年間に2度も最優秀賞という結果を出しています。当時の保護者も地域も「花と緑に囲まれた素晴らしい環境」と胸を張ったのがよくわかります。この年、桶中は全国コンクールでも第5位と輝かしい成果を打ち立てました。

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 昭和48~50年度の学校行事・生徒会行事を掲載します。泰山木の中で文章や写真で読み取れるものだけですので、それ以外にもあったら教えてください。現在も続いているものもあれば、授業時数の確保や安全の視点等から実施不可能になったものもあります。

・校外学習※遠足的なもので、少年自然の家等へ

フォークダンス集会

・スポーツテスト

臨海学校(1年)※水質悪化で昭和48年を最後に中止

・林間学校(2年)※箱根方面

・修学旅行(3年)※京都・奈良

・体育大会

いも煮会

・水泳大会

・文化祭(校庭でファイヤーストームというキャンプファイヤーのようなことも行っています)

・研究授業

・写生会

・競書会

・集団行動、バレー、バスケ、陸上、なわとび、サッカー、スピードボールの各学級対抗大会

うでずもう大会

弁論大会

百人一首大会

・新聞コンクール(広報委)

・美化コンクール(環境美化委) 

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 昭和50年、本校における生徒集会は、すでに10年間続き、合計200回を迎えようとしていました。生徒たちが工夫して、生徒会活動に工夫を凝らし新たな取組をしています。その1年分のテーマが残っているので紹介します。

 ※( )のクラスが中心となって運営したようです。

第182回(3A)校内のあいさつについて

第183回(3B)清掃状態のあり方

第184回(3C)フォークダンス集会

第185回(3D)男女交際について

第186回(3E)桶中生の校外生活のあり方

第187回(2A)文化祭・体育祭を終えて

第188回(2B)歌声集会

第189回(2C)テレビの影響

第190回(2D)研修会について ※毎年自主参加の研修会を開催していました。

第191回(1A)歌声集会

第192回(1B)先生から見た桶中生、桶中生から見た先生

第193回(1C)1年間をふりかえって

第194回(1D)卒業生を送る集会

 年間13回も生徒の手による自主的な集会が開催されて素晴らしい状況だと思います。一方で本部役員は感想として、次のように書いています。

 「今の桶中の生徒集会は、内容的に低下しつつあるといわれています。確かにそういわれてもやむを得ない例もあると思います。生徒集会は主催するクラス全員の関心が高く、参加する側にも積極性が必要です。いくら内容が充実していても、参加者を引きつけ一つにしなければ意義ある生徒集会とは言えないでしょう。全校生徒が一つの問題を一体となって考え、その結果が効果となって表れるようにしたいのです。」

 自治的な意識の高さとその行動力に感心しますね。

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 昭和45年の体育委員長の記事によると、当時、次のような行事が例年行われていました。

4月 集団行動競演

5月 クラス対抗陸上競技大会

7月 クラス対抗バレーボール大会

8月 水泳実施

9月 クラス対抗水泳大会

10月 体育祭

11月 スポーツテスト実施

12月 クラス対抗バスケットボール大会

1月 マラソン大会

2月 サッカー・スピードボール大会

 当時は、クラス対抗のスポーツ大会を「クラスマッチ」と呼んで、1年を通してスポーツに取り組み、体と心を鍛えていました。体育委員会が学校行事に主体的にかかわり、特にクラス対抗の行事は生徒の手で主体的に運営するのが基本でしたので、年によって種目が変わることもありました。

 これ以外に部活動では、春の学校総合体育大会、秋の県民体育大会があったので、非常に忙しかったのです。

 体育の服装は、男子は白色ランニングシャツと短パン、女子は半そで体操着とブルマという服装です。ただし、冬には長そで体操着とトレパン(長い丈の白色トレーニングパンツ)も可能でした。

 

 

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 泰山木21号は昭和47(1972)年度に発行されました。

○桶川市の黒田教育長は、次のように書いています。

 「四季色とりどりの花咲く学園(中略)生徒のみなさんは、明朗快活、礼儀正しく生気みなぎり、あすへの夢を大切にする。先生方は、生徒ひとりびとりを正しく理解することにつとめ、日々最善の努力をする。『埼玉県に桶中あり』という結果になるのは当然である。このような学校を卒業されるみなさんは、誠にしあわせであり、桶中の卒業生であるという誇りと勇気をもって行動してください。」

○PTA会長は、次のように書いています。

 「桶川中学校は素晴らしい学びやであると思う。先生方が自らスコップをにぎり校庭に飛び出す、その指導性と熱意、そして生徒会の皆様が、手入れを怠らず、常に創意と工夫をもって環境作りに、先生と生徒会が一丸となってやるので、四季の美しき花が咲き乱れ、校庭の前の古い門柱を利用しての、あの立派な国旗掲揚塔が、自分たちの手で造り上げた、その偉大さ、素晴らしさこそ、桶川中学校の教育の充実であり、発達ができることをかたく信じます。」

○生徒会長の田中さんは、次のように書いています。

 「よく『日本のよさは(悪さ)は、日本の外に出てはじめてわかる』といいます。(中略)これは、『桶中』『生徒会』『委員会』であっても同じことがいえると思います。委員会を例にすると、各委員会では、活動を活発にしようといろいろと考え行動しています。けれども周りの人はそのことがそのままわかるとは限りません。それは委員が委員の立場からだけ考えてその他の人の立場にならないから起き、その逆に、委員でない人は委員会の活動を知ろうとしない。そんな気持ちから食い違いになるのではないでしょうか。お互いの立場から考えられると素晴らしいと思います。それをそのままにせず、委員会などで意見を発表しあう、そうなりたいものです。(中略)もう一度生徒会というものを見直して、自分なりにできることを、生徒会にぶつけてみようではありませんか。生徒全員の力による生徒の生徒会を!」

 

☆当時は、戦後始まったGHQによるPTA、生徒会といった組織の活動開始から二十数年が経ち、全国くまなく普及していました。桶中は、生徒会活動を先進的に研究・実行し、昭和43年には2回発表を行い、県内各地から合わせて43校約350人の視察者(教員・生徒)がありました。一方で活動内容の刷新や主体的な参加が課題になっていました。

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 昭和30年度発行の泰山木第4号には、巻末に協賛企業(というよりも商店)が掲載されていて、当時は予算化が十分でなく商店からの援助によって発行できていたことがわかります。

 昭和30年度(70年前)の泰山木に掲載されている協賛企業が興味深いので紹介します。

(※掲載順です)

・高砂屋書店 ・岡野栄泉 ・小髙兄弟商会 ・黒須洋品店 ・大隅自転車店 ・山口呉服店 ・マイト商会 ・臼田製麺所 ・ひまわり堂 ・大室商店 ・稲葉屋支店 ・キクヤ洋品店 ・岸時計店 ・栄屋菓子店 ・矢島時計店 ・盛和堂 ・秋元食料品店 ・増田薬局 ・廣田金物店 ・上肉店 ・黒須帽子店 ・関口ラジオ店 ・大塚屋洋品店 ・サワヤ酒店

【地域の商店に感謝】 

 この中の半分ほどのお店が現在も中山道や駅前で商売をされています。長く地域の生活を支えているお店です。桶川中の歴史を紐解く観点から「故きを温めて」として書いているHPですので、当時から本校を支えてくださっていた多くの方々に改めて感謝いたします。

【キャッチコピー】

 この商店の広告に添えられた一言が素敵ですし、時代をよく映しているのでご紹介しておきます。

・呉服と服地と注文服 捧げる感謝 惜しまぬ奉仕 山口呉服店 (見事なキャッチコピーです!)

・たばことお菓子 駅での待合は当店で 大室商店 (主流は蒸気機関車で1時間に1本程度、直前に改札が開くまで駅前でタバコを吸いながら待っている光景が浮かびます!)

・栄養豊富な天ぷら揚げ物 秋元食料品店 衛生第一親切な店 (揚げ物は栄養豊富な料理なのです!)

・お父さんによいお酒を お酒飲むなら サワヤ商店 (お酒と言えばお父さん、そして中学校の生徒会誌の協賛に酒屋さんというのも時代を感じます!)

【電話】

 協賛のページに電話番号を書いている商店があります。

例えば、「黒須洋品店 電話10番」「岡野栄泉 電話71番」「岸時計店 電話308番」などです。調べてみると昭和30年代の電話は普及率が低く特別な存在でした。多くの家庭に電話はなく主な通信手段は電報でした。ちなみに昭和30(1955)年時点で電話の普及率はわずか1%で、電話のある家は商店などに限られていて、用事があるときは電話のある家に借りに行くのが普通でした。固定電話回線を引くことは一種のステータスで、黒須洋品店は桶川町で10番目に電話を引いた家ということです。さらに言えば、市外電話は、電話交換手を介さないと通話できず、全国一律に機械接続で通話可能になるのは昭和53(1978)年以降です。

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昭和46年度は、本校から桶川東中が分離した年です。当時の田島尚校長先生が「泰山木」寄せた文章です。

「今年度は、高崎線の軌道を境にして、新しく設定された学区によって、今までの桶川中は二つの学校に分離してスタートした。しかし、桶川東中は新しい校舎が翌年の3月に竣工される関係で、桶川中の中に桶川校舎として設置された。したがって、同じ校地内に二つの学校が存在して運営されるという変則的な1年間であった。」

「年度当初、校地や校舎の使用や、行事や部活動、生徒会運営等で問題が多く、試練の年になると懸念されていたが、両校の先生方・生徒の皆さんが互いに不自由を忍び、助け合って勉強や運動にあたったので予期に反して充実した意義深い年になった。」

「生徒会については、前期は両校の合同で行われたが、後期はそれぞれ独自の計画を立てて行われた。部活動では、サッカー部が県民体育大会で伝統的に強い浦和・児玉・秩父勢を破って優勝を遂げたことや、野球部が第3位に食い込んだことが素晴らしい。また、文化祭・体育祭の成功等は桶中生徒会の真価を遺憾なく発揮したものと言える。このような好結果を生んだ最大の要因は、諸君ひとりひとりが伝統的精神をうけついで、学校を愛し、生徒会の発展を心から願って努力した結果である。そしてまた、熱心に指導にあたった先生方や生徒会の役員、3年生の努力を忘れてはならない。」

「桶川東中は加納校舎と合併し、新しい学校づくりの動きの中で、生徒会則を作り、組織を整えてください。桶川中も生徒会全体のみなおしを行って新しい出発としてもらいたい。」

 

桶川東中学校開校の年は、校舎建設が間に合わずに1年間本校の敷地に2つの学校が存在していたのですね。校長も生徒会長もそれぞれの学校にいましたし、桶中は1年A組、東中は1年1組という名前でした。

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