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故きを温めて(桶中の歴史)

昭和44年3月に発行された泰山木17号に「編集委員会で検討し、桶中に起こった十大ニュースを選び出してみました。」との記述があります。当時中学3年生だった生徒は、現在74歳くらいかと思います。さて、生徒が感じたその年の校内ニュースとは!

1 初の総合文化祭成功に終わる

2 ブラスバンド誕生(吹奏楽部のことか不明)

3 緑化コンクール全国入選

4 校内写生大会行われる

5 断髪令施行される

6 森・猪野先生ヨーロッパ視察旅行

7 水槽・小鳥かご各教室に置かれる

8 全クラスに石油ストーブ設置される

9 体操部夏の県大会に準優勝

10 演劇部・水泳部誕生

「泰山木」を読むと、「クラブ活動」と「部活動」の違いがはっきりと認識されていなかい時期だったようです。「各クラブの部長」という表現もされているし、「私たち〇〇クラブは・・・」と書いたり「私たち□□部は・・・」と書いていたりして、混然としていることからもわかります。

部長による活動紹介と思いが書かれているページには、男バレー、女バレー、男卓球、女卓球、野球、男バスケット、女バスケット、ソフトボール、サッカー、陸上、男体操、女体操、柔道、剣道、水泳、男テニス、女テニス、英語、美術、科学、吹奏楽、読書、家庭、郷土研究、演劇が出ています。

当時、運動系17、文化系8、合計25のクラブ(部)活動がありました。生徒数886人

現在、運動系13、文化系4、合計17の部活動です。生徒数470人

生徒が今の2倍近くいる中で、活動場所の確保、自主的な運営、生徒の意欲の有無などに苦心していたようです。

 

 

 

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1954(昭和29)年3月発行の第2号より、先輩方が書いた詩を紹介します。終戦からわずか8年という時代の中学生です。

 

 「詩」  3年男子

戦後の

 食りょうなんに育ち

ひようじん型より

 ずっとおくれた体で

卒業していく

人はかわいそうだというが・・・

小さいからだには大人にまけぬ

勇気とき望がはちきっている

 

 「おたより」  3年女子

なつかしい先生へのおたより

なつかしさを筆にたくして

真白なビンセンにかかれて行く文字

書いているうちに思い出す

先生と共にくらした時の楽しさを・・・

先生の顔が浮かんで来る

又遠くうすく消えて行く

先生私はがんばります

中学生活最後の年を・・・

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『創立50周年記念誌』と現在から、1週間の授業時間数を比べてみました。

 ◆上段 1996(平成8)年

 ◇下段 2025(令和7)年 

    1年 2年 3年      1

 国語 ◆5 4 4

    ◇4 4 3

 社会 ◆4 4 3

    ◇3 3 4

 数学 ◆3 4 4

    ◇4 3 4

 理科 ◆3 3 4

    ◇3 4 4

 音楽 ◆2 1.5 1

    ◇1.3 1 1

 美術 ◆2 1.5 1

    ◇1.3 1 1

 保体 ◆3 3 3

    ◇3 3 3

 技家 ◆2 2 2

    ◇2 2 1

 英語 ◆4 4 4

    ◇4 4 4

 選択 ◆0 1 2

    ◇0 0 0

 道徳 ◆1 1 1

    ◇1 1 1

 総合 ◆0 0 0

    ◇1.7 2 2

 学活 ◆1 1 1

    ◇1 1 1

 

国語・社会・音楽・美術・技家が減り、理科や総合が増えました。選択教科はなくなりました。

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以下は、『30周年記念誌』に寄せられた当時桶川西中学校の戸井田信治校長先生の文章です。戸井田先生は、開校時に2年C組の担任でした。

「1947(昭和22)年4月29日、開校式は桶川小学校(現在のことぶき広場)の校庭で盛大に行われた。4月29日は天皇誕生日であり、桶川中学校開校の日であり、私が教員として初めて着任した記念すべき日である。しかし、校舎は小学校の間借りで教室不足のために3年生は昇降口を使うというありさまであった。現在の桶川中学校の場所には、おもちゃ工場があり、それを買収して改造校舎ができた。それも今は跡形もない。全生徒一緒になって植木の移動や植樹に汗を流したこと、麦まきをし収穫をパンにして食べたこと、シラミがわいた女の子の頭にDDTをかけたこと、そのような窮乏の中にも文化国家建設の明るい希望に心は燃えていた。新制中学草創期の苦難の歴史を今の子ども達に話してもなかなか解ってもらえまい。当時の生徒に対する物資配給の一端を記録の中から披露する。

 昭和22年7月14日 男女全員にパンツ配給 単価14円

   同年10月20日 マスクを全員に配給 単価60銭  男子にズボンを配給する。

      同日  各クラスに皮バンド 男女各10本あて配給あり 抽選する。

   同年10月28日 ヅック靴配給 9文以上43円 10文以上58円

 昭和23年2月18日 ノート1冊7円、ケシゴム1個1円50銭で配給する。」

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生徒会誌『泰山木』は、現在も発行され続けていますが、スタートは1953(昭和28)年3月15日に生徒会文芸部の詩文集が『泰山木』として発行されてものです。

4号から生徒会誌となりました。生徒会誌とすることについて50周年記念誌には次のようにあります。

「詩文集が生まれ、その後生徒会誌が生まれたので、せっかく続いてきた詩文集の心を生かして生徒会誌に『泰山木』の名前を引き継ぐことになりました」(当時、生徒会担当で泰山木の名付け親の高橋先生の話)

 

今後、その中から詩や文章を名前を伏せて紹介していきます。まず、卒業、進路選択を目前にした3年生らしい思慮深い作品です。

 【第2号(1954.3.25発行)より】

    道  3年生女子

 私たちは歩いて来た

 広い道を手を取られながら

 目をつぶっても歩いて来られた

 しかし! 今は!

 目の前に広がる幾本もの道

 腕を組み 頭をかしげ

 自分の進む道を考えている

 努力家には 道は広く

 なまけ者には 道は狭い

 

 

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開校年度は363人でしたが、翌昭和23年は522人と増えました。昭和37年度と昭和62年度をピークにして、生徒数は減少傾向にありますが、令和6年度は455人、今年度は468人と少し増加しました。

減少幅が大きい理由

〇昭和46年度:桶川東中開校

〇昭和50年度:桶川西中開校

〇昭和63年度以降:全国的な中学生数のピークが昭和62年度

 

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本校は、来年(令和8年)に創立80周年を迎えます。

これを記念してホームページに新たに「故きを温めて(桶中の歴史)」のブログをつくりました。

過去の出来事や資料等を掲載していく予定ですので、お楽しみに!

 

まずは、50周年記念誌の『飛翔1996』です。

その中に、開校当時の校地の様子を調べて2年生が描いた絵がありましたので紹介します。

校舎の北側(現在のテニスコート等)は畑だったり、雑草がしげる空き地だったようです。校庭の中に神社があるのがわかります。これは後に移転して、現在もパークタウンにある若宮神社となります。

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